今日の太陽面
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月と惑星の集合
3月25日から27日にかけ、西空に金星と木星と月が集合した。月は、新月からだんだんと大きくなり、次々と惑星の横を通り過ぎて行った。金星は、昨年末から夕方の西空で宵の明星として見えていた。木星は、観測シーズンを終えて段々と西に傾き太陽に近づきつつある。そのような中、月が日ごとに位置を西空から東に向かって見えた。金星は、6月6日の太陽面通過を目指してだんだんと高度を下げて行くので、これから細く大きく見えてくるので楽しみである。肉眼で見ると、昼間の太陽を除き、夜に見える星々の中でも明かるい金星、木星、月が同じ方向に見えるのはなかなか見られない、しかも、天気が悪ければ見えない。月は、星座を背に1日に12度も西から東に動いて行くので1日違っても、見える場所が変ってくる。幸いにも、ここ3日間はなんとか見ることが出来た。ただ、月曜日は、会社での残業のために仕方なくコンパクトのミラーレス一眼レフカメラを小型の三脚を窓枠に当てての撮影となった。それにしても、写真では肉眼に比べてはるかに劣る写りとなる。是非、肉眼で記憶の中に留めて置きたい光景である。
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仁和寺
大徳寺からバスに乗り西に向かい、乗り換え後、金閣寺、龍安寺を経由して、仁和寺前のバス停で降りた。そこには、大きな山門が道のすぐ横に南向きに建っていて、山門前にはタクシーが客待ちしていた。信号機のある横断歩道を北に渡って、山門を抜けると、そこには広い参道が北に続いていて、中門をくぐり抜けると左手に桜の木がずらっと植えてあった。右手には、有名な五重塔が見え、高さが36メートルほどの各階が揃った屋根が空に伸びているのが見えた。なるほど有名な五重塔だけのことはあると、感心してしまった。さらに、北に進むと階段があり金堂に辿り着く。この金堂は国宝であるとのことで、魚眼レンズで撮影したが、何で国宝の建物なのかは判らなかった。金堂の右手には、鐘楼があり、これまた、朱塗りの立派な鐘楼があり、この仁和寺の大きさに驚いた。ひととおり眺めたが、まだまだ、他の建物があるようで、全ての建物を見ることはできなかった。再び、山門の出入り口に戻り、山門の道を挟んだバス停の前にある団子屋で、団子餅と、お茶をいただいた。2本で300円。うーん、いつもは団子は食べないが、ほどほどに美味かった。仁和寺は、徒然草にも出てくるが、菅原道真、弘法大師とも縁のある寺である。
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大徳寺(大仙院)
上賀茂神社を後にして、今度は大徳寺に向かった。バスに乗り、途中で乗り換えて大きなお寺の集団となっている大徳寺に着いた。上賀茂神社から直通のバス路線は無いため、このようなルートとなってしまった。大徳寺の東の入り口から入り、西に向かって歩き、今度は北に向かって進むと大仙院の方向であるが、是非とも見ておきたい建物があったので、その建物を見た。この建物は、千利休と豊臣秀吉の逸話となっている門である。金毛閣と呼ばれる門である。この門は、千利休が大徳寺に、元からあった門の上に寄進した門であり、大徳寺側で千利休を称えて千利休の像を門の上に草履履きの姿で設置したようで、その門を潜った豊臣秀吉が、千利休の像があることに気付き、”俺を踏みつけるとはとんでもない。”との怒りから、千利休に切腹を申し付けた曰く付きの門と言われている。本当かどうかは判らないが、そんな、門である。この門も朱塗りの二階構造の門である。曰く付きの門をしばらく眺めた。次に、大徳寺の中でも、枯山水の有名な庭があるということで、拝観料400円を払って観てきた。案内人の若い女性の流暢な解説も良かったし、禅寺独特の枯山水の庭を楽しむことができた。これならば、400円は安いと思ったのは私だけではないだろう。拝観を終わって、出たところに、ちょうど、元住職であった尾関宗園和尚とお話ができたのが、さらに、この寺を印象深く思わせる結果となった。なお、一休禅師も、このお寺で修行をされたとのことである。人の生き方として「気は長く、心は丸く、腹を立てず、人は大きく己は小さく」と書かれた掛け軸のことを忘れない。このような生き方は、今の私には到底できないし、今後も難しい。良い、お寺だった。また、写真撮影がNGだったので、枯山水の写真は無い。
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上賀茂神社
三十三間堂からバスに乗り、河原町七条まで行き、そこから乗り換えを行い上賀茂神社へ向かった。おおよそ、1時間ちょっとの時間であったが、バスは混雑していた。四条河原町で、少しは空席が出るかと思ったが、なんと下賀茂神社までバスの席に座ることができなかった。賀茂川の上流へのバス道は、賀茂川を数回渡って、ジグザグの行程となったが、バスを楽しめた。最後の賀茂川を渡って、川の東側に到着した場所に上賀茂神社の境内があった。神社の前の広い参道には、見事な枝垂れ桜があったり、神馬が居たりと、歴史のある神社にふさわしい景観であった。式年遷宮の看板が立ててあり、昔から遷宮が繰り返し行われていることを知ることが出来た。社の前には2つの立砂が創られているのが目に留まった。また、竜の一対の絵が掛けられた堂も見ることができた。神社と寺の違いは神様を祀っているか、仏像を祭っているかの違いであると思うが、ここ京都の寺社を見る限りでは、判らなかった。ここでも、朱の色の柱に感動してしまった。
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三十三間堂
清水寺から五条坂を下って東山五条からバスに乗って三十三間堂前で降りた。今日の寺社の参拝(見学)は、これで最後かなと思って行ってみたが、門は閉まっていた。なんと、拝観時間は4時となっていたが、”本日の拝観は終了しました”となっていた。後でネットで見ると、入場は、拝観の30分前となっていた。腕時計 は午後3時40分を指していたので、10分の差である。がっかりしてしまった。時間もまだ早いし、三十三間堂を後にして、近くの京都国立博物館へ向かったが、ここも、2月27日から休館との表示となっていた。仕方なくホテルに早めのチェックインを済ませ、ゆっくりした。夕食(宴会)後に、どうしても三十三間堂へ行きたかったので、翌朝、予定を変更し、拝観時間前に堂の前に行ってみた。行ったところで、異変に気づいた、なんと予想もしていなかった年に一度の無料公開日(桃法会の日)であり、拝観前から多くの人が並んでまっていたのだ。ラッキー、と思わず声に出さずにはいられなかった。拝観開始となり、ほとんどの人は、堂へと入っていったが、私達は、お堂の外から人のいない様子を見ることができたのは、良かった。三十三間堂の中には、1001体の黄金色の観音様が並んでいて圧巻であったが、撮影禁止となっていて残念だった。観音様を見て、再度お堂の外に出て、今度はお堂の西側に回って昔から弓を射たお堂の軒下の様子を見てみた。南から北に向かって弓を射る通し矢が開かれたそうで、柱の南面には鉄板で柱を覆っていて、多くの弓矢の痕が残っていた。数百年も前の弓矢の痕もあるのかと思うと、その傷痕をまじまじと眺めた。それにしても、南北が120メートルもあるお堂にびっくりとしてしまった。
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清水寺
小雨の降る中、知恩院からバスに乗り、清水道のバス停で降り、清水寺に向かった。修学旅行の生徒が坂から降りてくるのに遭遇して、混雑していた。山門には、若い女性の姿もあったが、生憎の雨では良い写真も撮れない。傘を差しながらカメラを構えての操作は難しくなっているので、画角も定まらないし、露出補正も面倒で、構図も迷ってしまう。いつ見ても、清水の舞台を下から見上げるのは素晴らしい。木と木を巧みに組み込み、少しの地震では木が振動を吸収するような構造で見事である。天候に恵まれない時でも、霧の中にぼやっと浮かぶ舞台や、三重の塔が近くの景色との対比が楽しめる。また、この清水寺の庭には山あいにも拘わらず、池を巡らしていて、苔むした石の造詣も良い。石像もカラフルな前掛けをしていた。
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今日の太陽面
今朝は、少し透明度が悪い日となったが、どうにか太陽面を捕らえることができた。東縁から小さな黒点群が出てきたが、大きな黒点群は見えない。昨日の大きな黒点群は変らず、このまま衰退して行くものと思われる。Hα光では、大きな黒点群の周りに明るいプラージュが見えているものの、その他の領域は北半球にダークフィラメントがあるだけで、南半球は寂しい活動である。周辺に見えるプロミネンスは、南半球の東縁に少し大きなものが見える。その後、昼過ぎからは雨が降り始め、夕方近くまで雨が降り、風も強く寒い日となってしまった。春の訪れは、まだまだのような気がしている。本当に、今年の冬は長くて、おまけに天気が悪い状況が続いている。田んぼには、水が溜まっていて田植えができそうである。
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知恩院
八坂神社の次に訪れたのは、知恩院である。八坂神社から円山公園を経由し、知恩院の山門に着いた途端、この知恩院の山門に圧倒された。それもそのはず、国の重要文化財となっているそうだ。八坂神社とは対照的な山門は、黒塗りの山門で、二重になった屋根、太い柱と一段一段の段差が大きく、登って行くのに骨が折れるような急な階段となっている。最初の山門を越え、次の階段を登って振り返るとまさしく崖のような階段であることが判ってしまう。まるで、城壁のように迫った石垣の上から大きな木々がかぶさるように参道を覆っている。それを上がると、本堂に着くが、暗い色調の御堂が並んでいた。法然上人が建立したと言われる寺ではあるが、非常に巨大な建物群であった。
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八坂神社
今回京都の寺社の訪問は、八坂神社がスタートとなった。昼食を京料理で堪能し、高倉からバスの乗って祇園へ向かう予定であったが、祇園の一駅前でバスがルートを変えてしまったので、やむなくバスから降りた。そこから、徒歩で東に向かって進んだ、程なく八坂神社の正面に着いた。ここは、京都の街を東西南北に分けて東の地であり、青龍の方角でもある。京都の街も、私の住む国分寺の町も同じように、風水によって決められ作られた街であり、南が開け、背にあたる北を山、東に大きな川が流れ、西に大きな街道がある土地である。早速、八坂神社の朱の色に塗られた門をくぐって境内に入り、霧雨が降ってはいたが、神社を歩いて回った。この西の門を潜る人がほとんどであるが、本当は南にある門が本当の門であることを後で知った。また、ここには、有名な枝垂れ桜があることを事前に学習しておいた、円山公園の中にある花の無い枝垂れ桜を見た。立派な樹であるが、植え替えしたと書いてあった。桜の季節には、人々で賑わうことと思うが、灰色の空と黒い桜の枝だけのモノトーンの写真となった。やはり、天気が良い日に、もう一度訪れるのも考えてみたい。とにかく、朱塗の門が印象的な神社であった。
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河原町の居酒屋
京都の1日目の夜は、ネットで予約していた居酒屋「京町家しずく四条店」へ行ってみた。鴨川の西岸に近い店であるが、京料理とは程遠いお店であった。どこにもある居酒屋ではあったが、非常に安く飲むことができた。まずは、ビールをピッチャーで何度も追加、あまり覚えていないが焼酎を何杯か飲んでしまった。確かに、値段の割りには料理の質も量も満足であった。午後6時から2時間ほどの時間を堪能することができた。居酒屋からは、歩いてホテルに戻ったと思ったが定かではない。ホテルに戻ってからも、缶ビールを買い求め、ホテルのロビーで皆と雑談を重ねた。ホテルも格安で、京都での夜は愉快であった。お昼は、ちょっとした京料理、夜は普段の居酒屋である。実を言うと、夜に京料理を堪能しようとしたら、福沢諭吉が何枚か必要であるため、普通、いや格安の居酒屋にしてしまった。
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京料理およね
1年ぶりに、京都にある”およね”に昼食を食べに行ってきた。毎年の恒例になりつつある会社の仲間との旅行の楽しみの一つである。本格的な京料理は敷居が高いが、昼食を気軽に食べるのであれば、そんなに気張らなくても良い。このお店は、今ではブログ仲間であるが、一番最初に訪れたのは、3年ほど前になるかも。ふらっと夜の食事をと思って探していて見つけたお店である。今は、三代目の「なかぢぃ~」さんが継いでいるが、二代目の女将が現役で、お世話をしてくれる。今回も、松華堂弁当をいただいた。春の季節であり、お刺身にも、梅が飾ってあったり、お野菜は、菜の花と梅の形の人参、筍があったり、田楽や鰆の西京焼きが焼き物、梅の花の形に見立てたご飯が春の季節を奏でていた。4つに仕切られたお弁当で、この他に美味しい碗が出て満足であった。ちなみに、飲み物はいつものビールであったが、多くは飲まなかった。なぜなら、お寺めぐり前であるので、酔ってはいられない。
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